こんにちは、夏ですね。
夏かよ pic.twitter.com/5POVxNfsZ9
— リョウ@インターネット先生 (@ryryo) 2019年7月26日
梅雨の憂鬱さも収まり、炎上商法をしていた某レペゼン地球のDJ社長も、ドーム公演は中止になったようなのでこの件についてゆるっと書いてみようと思います。
ざっくりとまとめると、DJ社長と同じ事務所に所属する女性が、パワハラ/セクハラ告発をし批判が殺到したのですが、それは嘘で炎上により注目を集めようとしていた、という一件です。いわゆる炎上マーケティング。
これまで勇気を出してパワハラ告発をした人達への冒涜であると同時に、今後告発があった時に「どうせまた嘘なんじゃないの?」と活動を大いに妨げる可能性がある、非常に悪質な行為でした。
結果大いに叩かれたのですが、同時に問題とされたのが彼らのファンや、ファンってほどでもない視聴者の一部若者達がこの一連の流れを「最高!」と賞賛したことです。
事実、倫理的に最悪だけど特定の層には刺さる表現だったと思います。
ただ、Twitterで多く見られた反応は「この始終最悪な表現の何が刺さるのか意味不明。(こんなものを賞賛する一部の)今の若者は理解できないし絶望する。」といったものです。
個人的には、意味はわかるけど止めとけと思っていたので、理解できないという反応もまた少し不可解でした。
DJ某は5000%叱らないといけないんだけど、学も金もない層からするとパワハラについて文字を重ねるインテリ達は滑稽に見えるのだろうなぁってのだけある。
— リョウ@インターネット先生 (@ryryo) 2019年7月22日
マズローでいう安全の欲求まで満たされているかどうかで、まったく違う問題に見えそう。
彼らの一連の行為を見て、僕が個人的に感じたメッセージは以下のようなものです。
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世の中、大人のインテリ達が弱者を気取って、パワハラ・セクハラ言ってるけれど、本当に弱者なのは俺たちだ。
どうせお前ら、オレらの何倍も金持ってるんだろ。それでもオレらはお前らと違って弱者ぶらない。
世の中に不満を訴えるだけで、生きやすくなるお前らはそもそも恵まれてる。オレらは、ネットで文句言っても選挙に行ってもどうせお先は真っ暗だ。
でも眉間にシワを寄せて文句ばっか言ってるお前ら違って、オレらはお前らよりも世界をハッピーに見てやるよ。
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本当のところは知らないけれど、こんなモヤモヤを若いマイルドヤンキーな層を中心に抱えている気がします。
そして一見普通そうに見える若い子でも、日本の先行きに同様に漠然とした不安を抱えているんだろうな、と。そんな中、大人達がその不安の大元でなく、パワハラといった末端の問題だけを対象に議論しているように見えているのかもしれません。
若い人達にとって、自分の明るい未来の希望が感じられないのであれば、現場の議論は意味がなく見えてしまいます。
高校生ですが、労働300時間で手取り23万で食費4万は贅沢とか、私はもっと大変な生活送ってるとか言われたらそんな未来が待ってるのに今こんなに頑張って勉強してる意味があるのか全然分からないし、これ以上歳をとって大人になりたくない。
— なる (@n_arunarunaru) July 31, 2019
パワハラといった現場の問題よりも、将来生活の基盤が保たれるかすらわからない不安こそが若い層にとってのリアルな問題だと思います。
そしてパワハラは努力する人が不当に虐げられてる問題として扱われますが、お金が無いといった訴えは社会の問題でなく当人の努力不足として扱われがちです。
もう個人の努力不足だけでなく、社会の問題って比重がだいぶ大きくなってるんじゃないの?って気配が大きいですが、自己責任という言葉で括られています。
当然そんな将来への不安を抱えているからといって、パワハラ的な訴えを軽く扱って良いわけがないし、彼らが思っている以上にパワハラといった諸問題に悩みを抱える人達のダメージは重いものです。鬱になって自殺する事例すらあるわけですから。
何より将来に対する不安はあれど、まずは個人で頑張ろう!とする時にその大きな障壁の一つとなるのがパワハラです。
将来が不安問題とパワハラ問題は時間と共にリンクしていくのですが、いざ年齢が変わると、重なる部分はあれど「今と未来」「過去と今」の別時間軸の問題と切り分けてしまうことが多いのでしょう。
「安定した生活が送れないマイルドヤンキー」と「パワハラに悩む真面目な人達」と分断することでSNS上でケンカが生まれますが、同じ人の中で共存しうる問題なのに、前者の問題は一部のバカなヤンキーだけのものと扱うのはあまり好きでありません。すでに色々な層を横断した問題です。
そもそもこの2つの問題が別々の人に分けて生まれたとしても、どちらの層も共に弱者とまで言わないにしても、以前に増して現代の社会で生きづらくなっています。
そんな生きづらい者達同士でケンカしてどうするんだよっていうのが僕の考えですが、言葉優位で正論が強いネット世界ではヤンキーが一方的にボコられるのは何とも言えない気持ちになります。
こうやって時に、別々でなく同居する色々入り組んだ問題なのに、一方の問題だけを大きく扱い、もう一方の問題を他人事のように扱うと、より断絶が大きくなってしまうように思います。
そして片方に偏った、他人事でいる大人こそが、最近は「多様性」といったワードを使っているように見えます。
総じて言うと、大人達が行う今のパワハラ/セクハラ啓蒙って「生活にはゆとりがあるハラスメントに悩む人」のものに見えて、「生活が安定せず、さらにハラスメントにも悩む人」のものには見えないかんじがするのです。
今回のDJ社長の一件は、そんな大人達を批判してくれているように感じられるのですよね。彼もまた大人とは正反対の方向に偏ってるからこそ叩かれるのですが、偏ってなんぼのやり方をしているのは今更で。
そんなわけで、狙ってそのポジションにいるDJ社長を叩くならまだしも、彼のことをすごい!と言った女子大生を大勢で叩くのは好ましくありません。それはもう説教ではなくパワハラだし。ネット上でヤンキーと同じことしてるようにしか見えません。
自己責任な社会では、真面目に生きてきた人達よりも真面目に生きなかったヤンキーは下の存在なのかもしれませんが、それに完全には同時しかねます。
今各々がいる場所は、自分の意思や努力だけで決まったわけでなく、偶然に生まれ落ちた環境にも大いに左右されるものですから。人生はガチャ。